光縁寺
地下鉄阪急線四条大宮駅から歩いて5分程度。
屯所方面から向かうのであれば、旧前川邸の前の通りを
ひたすら真直ぐ東に進むと、北側に見えてきます。
 




壬生の屯所からも近く、寺の側には新選組の馬小屋があったそうです。
山門に刻まれた「丸に右離れ三つ葉立葵」が、新選組副長(後に総長)の
山南敬助の家紋と同じであったことから、ここの住職と山南との間に親交が生まれたのです。
この寺には、山南の紹介により、数多くの切腹した隊士が埋葬されています。
境内裏一番左奥に、新選組墓地が在ります。
墓に向かって右から、眞明院照誉貞相大姉(沖田氏縁者となってますが、これは明里さんの戒名だそうです)、
2番目が、山南敬助の他、町屋の婦人との密通により切腹となった施山多喜人、石川三郎、
3番目に、大石s鍬次郎の兄、大石造酒蔵、4番目に、士道不覚悟で切腹になった松原忠司
、櫻井勇之進、小川信太郎、市橋鎌吉、田内知、矢口健一郎、
幕臣取り立てを拒んだ事により、会津藩邸で斬殺された佐野七五三之助、

中村五郎、茨木司、富川十郎らの隊士が今も眠っています。
最初にここに埋葬されていた河合耆三郎や、御陵衛士一派の墓は
途中別の場所に移動されており、今は墓石はありません。

供養費として100円が必要です。
住職さんから、詳しい話を聞くこともできます。
(2006年5月8日UP)
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